「エク哲」という言葉を一度でも目にしたことがある人なら、あの奇妙なネット文化の記憶がよみがえるはずです。
これはただのネットスラングじゃありません。2013年12月に南米エクアドルで実際に起きた、新婚旅行中の日本人夫婦が強盗に射殺された事件。そして被害者の人見哲生さんがなぜか「エク哲」と呼ばれ、なんJで10年以上語り継がれる存在になった理由を、この記事ではひとつずつ整理していきます。
「エク哲」ってそもそも何者?
「エク哲」というあだ名だけ聞いても、何のことかピンとこない人も多いはずです。まずはエク哲こと人見哲生さんの人物像と、この呼び名の由来から話を始めましょう。
人見哲生という男:意識高い系ツイッタラーの正体
本名は人見哲生(ひとみてつお)、享年30歳。
埼玉県出身で、父親の仕事の都合により子供のころにニューヨークへ渡った帰国子女です。獨協埼玉高校を経て早稲田大学商学部を卒業し、大手リクルートへ入社。その後、金沢市内の求人情報誌の会社へ転職し、そこで出会った真梨子さんと結婚した人物です。
学歴も職歴も申し分ない、いわゆる「エリート」です。
ただ、彼にはひとつの癖がありました。Twitterに、哲学っぽいことを言いたがる「意識高い系」の投稿を頻繁にしていたのです。
「学び。常識を疑え。考えることをやめると脳は腐る」
帰国子女アピール、海外旅行の豊富な経歴、結婚観についての持論。ちょっと鼻につく発言が並ぶそのアカウントは、SNS界隈でじわじわ注目を集めていました。
「意識高い系」という言葉が流行していた2013年のTwitterの雰囲気の中で、人見哲生さんはそのキャラクターが際立っていた。後になんJで神格化されていく伏線は、すでにここに張られていたとも言えます。
事件が起きるまで:新婚旅行でエクアドルを選んだ理由
2013年12月22日、人見哲生さんと真梨子さんは金沢市で結婚式を挙げます。そしてその数日後、新婚旅行へと旅立ちました。
行き先はエクアドル。
目的は、南米の秘境として名高いガラパゴス諸島の観光です。ガラパゴスへ向かうには、エクアドルの最大都市グアヤキルが玄関口となります。2人は12月27日にグアヤキルへ到着し、高級ホテル「ヒルトン」に宿泊しました。
帰国子女で英語が堪能、海外旅行の経験も豊富。そういう自負があったからこそ、治安のリスクよりも「行ってみたい場所」を優先したのかもしれません。当時のグアヤキルが観光客にとって非常に危険な都市であることは、外務省の情報にも明記されていました。
「エク哲」という呼び名の由来
「エク哲」という呼び名は、「エクアドル哲夫」を縮めたものです。
本名は「哲生(てつお)」ですが、なぜ「哲夫」になったのか。一説によると、吉本興業のお笑いコンビ・笑い飯のメンバー「中西哲夫」から来ているとも言われています。事件後、なんJでスレッドが立ち、誰かが「笑い飯風に言うと哲夫」とネタにしたのが発端という話です。
いずれにせよ、「エクアドル哲夫」→「エク哲」という略称がネット上に定着し、今に至ります。2013年の事件から10年以上経った今でも、なんJでは命日前後に追悼スレが立つほど、その存在は消えていません。
事件はどこで起きた?グアヤキルという街の闇
事件を語るうえで外せないのが、エクアドルのグアヤキルという街の特異性です。エク哲がなぜあのような目に遭ったのかを理解するには、この街の空気を知っておく必要があります。
エクアドル最大都市・グアヤキルの治安
グアヤキルはエクアドル最大の商業都市です。
人口は約280万人。南米有数の港を持つ経済の中心地でありながら、外国人観光客にとっては非常に危険なエリアとしても知られていました。
当時の外務省の危険情報でも、グアヤキルの治安悪化は強調されています。特に「特急誘拐(エクスプレスキドナッピング)」と呼ばれる犯罪が横行していました。ターゲットを一時的に拉致し、ATMで現金を引き出させて逃走する手口です。
在留邦人たちの間では、流しのタクシーには絶対に乗らないというのが常識だった、と当時の報道に記されています。ホテルや空港の専属タクシーは流しに比べて2〜3倍の料金がかかりますが、「安全には代えられない」として利用するのが当然とされていたのです。
ガラパゴス諸島への玄関口という側面があるため、世界中から観光客が訪れます。その分、観光客を狙った犯罪も多い。美しい自然と危険な都市が隣り合わせになっている、それがグアヤキルという場所でした。
「流しのタクシー」に3台乗ろうとした夜
12月28日の夜。
宿泊先のヒルトンホテルから、近くのシェラトンホテルへ夕食に向かった2人は、行きにホテル専属のハイヤーを使いました。しかし帰り際、その料金を見て驚きます。通常のタクシーの約10倍にあたる20ドルを請求されたのです。
これはぼったくりだと感じた哲生さんは、レストランが手配した車も断り、自分たちで流しのタクシーを探すことにします。
表通りに出て、タクシーを探す哲生さん。1台目、2台目は防犯カメラ付きで値段が高め。それも断り、3台目のタクシーに乗り込みました。料金は2ドル。防犯カメラなし。後からわかることですが、それはいわゆる白タクでした。
ホテル側のぼったくりへの怒りが、判断を狂わせた夜だったとも言えます。「20ドル取られた後だから、今度は安くあげよう」という気持ちは、正直なところ理解できなくもない。ただ、その1ドルの差が取り返しのつかない結末を招きました。
強盗の手口と銃撃の瞬間
タクシーはヒルトンホテルとは逆方向に走り出し、突然停車しました。
助手席と後部座席から男たちが乗り込んできます。真梨子さんを挟む形で口論になり、「黙れ」とスペイン語でまくし立てた男が、哲生さんの頭部を棒で殴打。そして銃声。
銃弾は右胸に当たり、貫通して左腰から抜けました。3発撃たれた哲生さんは、その場で即死状態だったとされています。
真梨子さんも腹部と脚を撃たれました。所持品をすべて奪われ、2人は路上に置き去りにされます。
真梨子さんは夫の名前を泣きながら叫び、日本語で助けを求めた。それが、2人の新婚旅行の最後の夜でした。
なんJではのちに「発音説」というネタが生まれます。真梨子さんを守ろうとして「No, Mariko」「No, Hitomi」と叫んだ哲生さんの言葉が、スペイン語で「Maricon(おかま野郎)」「Hit me(撃ってみろ)」と聞こえてしまい、犯人を挑発してしまったという話です。これが事実かどうかの確認はできませんが、なんJで繰り返し語られるネタのひとつとして定着しています。
妻・人見真梨子のその後はどうなった?
事件で最も気になるのは、唯一生き残った妻・真梨子さんのことです。夫を失い、自身も重傷を負った彼女の帰国後を追います。
路上に取り残された妻が叫んだこと
路上に放置された真梨子さんは、すぐに救急搬送されグアヤキルの病院に入院します。
腹部と脚の2発の銃撃を受けていましたが、命は助かりました。一方の哲生さんは、その場で死亡が確認されます。
夜のグアヤキルの路上で、夫の名前を叫び続けた真梨子さん。その光景を想像すると、言葉になりません。新婚旅行で訪れた異国の地で、隣にいた夫が突然いなくなるという現実。
しかも、この時点で真梨子さんは妊娠3ヶ月だったと週刊文春が後に報じています。哲生さんはその事実を知らないまま亡くなったということになります。
実況見分に立ち会った真梨子さん
入院中の真梨子さんは、エクアドル警察の捜査に協力するため、事件現場への実況見分にも立ち会いました。
夫が目の前で撃たれたその場所に、再び戻ること。その精神的な重さは、推し量るしかありません。日本の報道でもこの事実は報じられましたが、それ以上の詳細は明かされていません。
捜査への協力、そして体の回復。異国での入院生活の中で、真梨子さんが何を思っていたのかは、本人しかわかりません。
車いすで帰国、その後の消息
事件から約2週間後の2014年1月11日、真梨子さんは成田空港に帰国しました。
車いすに乗り、右脚には包帯。帽子を目深にかぶり、うつむいたまま報道陣の前を通り過ぎました。
父親(55歳)がコメントを出しています。
「娘は大きな体と心の傷を受けているので、静かに見守ってほしい」
それ以降、真梨子さんに関する信頼できる情報はほぼありません。ネット上で「再婚した」という情報が出回ったこともありましたが、これはデマとされています。現在の消息は不明のまま。彼女がどこかで静かに生きていることを願うばかりです。
犯人・カルロス・カンポサノのその後
事件を起こした犯人グループがどうなったのか。そこが気になるポイントでもあります。逮捕から裁判まで、その流れを追ってみましょう。
逮捕まで:懸賞金が動かした捜査
外国人観光客が射殺されたこの事件は、エクアドル国内でも大きく報道されました。
観光業への影響を懸念したエクアドル政府は、国家の威信をかけて捜査を進め、情報提供者への懸賞金を最大2000万円(約10万ドル)にまで引き上げると発表しています。コレア大統領自らが声明を出した、それほど大きな事件でした。
事件から約1ヶ月後の2014年1月28日、犯人グループのうち5人が逮捕。その後、合計10人が拘束されます。主犯はカルロス・カンポサノ被告とされています。
裁判と禁錮35年という判決
2015年12月、裁判が行われました。
主犯・カルロス・カンポサノ被告には禁錮35年の実刑判決が言い渡されています。これはエクアドルにおける強盗殺人罪の最高刑です。
エクアドルは日本と比べて刑務所環境が厳しいとも言われており、35年という刑期がどれほどの意味を持つかは想像するしかありません。国際問題にまで発展した事件だったこともあり、現地の司法は最大限の判決を下したということになります。
「最高刑でも足りない」という声
裁判の結果が報じられると、日本のネット上では「35年でいいのか」という反応も多くありました。
確かに、30歳の命を奪い、妻と生まれてくるはずだった子を傷つけた罪に対して、数字の上での「最高刑」でも割り切れないものはある。ただ、エクアドルの法律の中でできる最大限の判決が下されたという事実は、ひとつの区切りではあります。
2013年12月から始まった捜査が、2年かけてひとつの結論を出した。それだけは確かです。
なんJで「エク哲」が神格化されるまで
エク哲がなぜ今もネットで語り継がれているのか。その答えは、なんJという文化の中にあります。ここからが、ある意味でこの記事の核心部分です。
遺体写真の流出と「プリケツ大往生」誕生の経緯
日本では考えられないことですが、海外のニュースメディアでは被害者の遺体写真が掲載されることがあります。
エクアドルのメディアが事件を報じた際、路上に倒れた哲生さんの写真も掲載されました。その写真がインターネット経由で日本の2ちゃんねるに流れてきます。
写真の状態は、上半身が裸にされ、ズボンが少し下げられた格好で、臀部が半分ほど露出しているというものでした。
これを見たなんJ民がつけたのが「プリケツ大往生」という言葉です。「プリケツ(プリっとしたケツ)」と「大往生(安らかな死)」を組み合わせたこの表現は、不謹慎ではあるものの、語呂のよさと妙な説得力から瞬く間に広まります。
そこに人見哲生さんの生前のツイート「常識を疑え。考えることをやめると脳は腐る」が組み合わさり、「エクアドル哲夫、常識を疑いプリケツ大往生」という一文が完成します。
これほど「人物」と「行動」と「最後」が見事に一致したフレーズは、なかなか生まれません。それがパワーワードとして定着した理由でしょう。
なぜ毎年命日スレが立つのか:なんJとエク哲の関係
なんJでは今もなお、エク哲の命日(12月28日)や盆の時期になると追悼スレが立ちます。
「7回忌スレ」「10年スレ」といった形で、節目ごとに語られてきた。これはなんJにとってひとつの「文化」になっていて、同様に命日スレが立つ存在は限られています。
なぜ飽きないのか。
ひとつには、「エク哲の話には毎回新しい人が入ってくる」という構造があります。事件の経緯、意識高い系ツイート、プリケツ大往生。全部をパッケージで伝えると、初めて聞く人には驚きと笑いと切なさが一緒にやってくる。そのコンテンツとしての完成度が、10年以上語り継がれる理由のひとつです。
もうひとつは、「他人事じゃない感覚」。意識高い系のSNS投稿、ちょっとした見栄、油断した判断。誰の中にも少しはある要素が、エク哲の行動に重なります。笑いながらも、どこか背筋が冷える感覚。それがエク哲の話を繰り返し聞いてしまう理由かもしれません。
「エク哲漫才」と二次創作文化の広がり
なんJで生まれた二次創作の中でも特に有名なのが、「笑い飯風漫才コピペ」です。
笑い飯は「Wボケ」という独自のスタイルで知られるお笑いコンビです。そのスタイルをエク哲事件に当てはめたコピペが登場し、なんJ内外で拡散されました。
哲生さんが「ワイが強盗への撃退法を見せたるから、お前が強盗役をやれ」と西田に言い、互いに役を交代するうちにどちらも「ケツを出したいだけ」になっていくという内容です。不謹慎ですが、構成の完成度はたしかに高い。
このコピペを見て「エク哲」を初めて知った人も多く、まとめサイトやSNSを通じて何度もリバイバルしています。ゆっくり解説動画でも取り上げられており、「ゆっくり怖い事件」系のチャンネルがエク哲を解説した動画を公開していることも確認されています。
エク哲の名言・語録を振り返る
エク哲がなぜここまでキャラクターとして立っているのか。それは、彼が残した言葉の数々がいちいち「事件後に読むと意味が変わって見える」からです。語録をひとつひとつ見ていきます。
「常識を疑え、考えないと脳は腐る」発言の文脈
エク哲最大の名言、そしてプリケツ大往生のフレーズに採用されたのがこの一文です。
「学び。常識を疑え。考えることをやめると脳は腐る」
もとになったツイートは、結婚式の神父が外国人で日本語の発音がカタコトな件への疑問でした。「なぜ日本人の神父ではいけないのか」という問いを展開しながら、「自分は帰国子女で英語の発音はネイティブ同様だ」と続けます。
そして締めくくりがこの一文。
2013年当時のTwitterには「意識高い系」ムーブメントが確かに存在していました。自己啓発的な言葉をつぶやき、自分を大きく見せる。そういう投稿スタイルを多くの人がやっていた時代の空気の中で、哲生さんのツイートは特にその色が濃かった。
事件後に読み返すと、「常識を疑った結果、流しのタクシーに乗って死んでしまった」という皮肉な一致が浮かび上がります。そのコントラストが、この名言を不朽のものにしました。
なんJに刻まれた語録の数々
哲生さんのツイートや掲示板への書き込みは、事件後になんJで次々と「発掘」されます。
たとえば、おみくじを200円払わずに盗んだことをインターネットに書き込んでいた件。リクルートに勤めながら本名に近い形で素性を明かしつつ書いていたため、特定は難しくありませんでした。
また、「よく『動くな、撃つぞ』みたいなシーンってあるけど、俺なら取りあえず足を撃つけどな。そうすれば形勢逆転されても大丈夫」というツイートも有名です。
自分が実際に撃たれる側になる未来を知らないまま書かれたこの一文は、事件後に見ると言葉を失うほどです。
「海外百戦錬磨だから大丈夫」という発言も残っています。エジプトから帰国した際に「うまいことウソをついて金を多くとろうとする人が多すぎる、でもそこは俺海外百戦錬磨だから大丈夫」と書き込んでいます。
なんJ民はこれを見て笑いながらも、どこかで「俺たちも大して変わらないかもな」と思っていたんじゃないかと、個人的には感じます。
意識高い系ツイートと彼の最後が重なる皮肉
エク哲の語録を並べていくと、あることに気づきます。
「目的意識のない海外旅行に意味はない」と言っていた人が、目的もなくリスクを軽視して旅先で死んだ。「常識を疑え」と言っていた人が、在留邦人の常識を疑った末に命を落とした。「撃つなら足を狙えばいい」と言っていた人が、自分が撃たれた。
ここまで一致すると、もはや「偶然」という言葉では片付けられない。
これがエク哲を単なる「可哀想な被害者」で終わらせない、最大の理由です。
言葉と行動と結末が一直線につながっている人間の話は、記憶に残ります。それはブラックユーモアかもしれないし、本人には申し訳ないとも思う。ただ、それでもエク哲の話は今日も誰かに語られています。
まとめ:エク哲はなぜ今も忘れられないのか
2013年12月28日に起きたエクアドル邦人銃撃事件は、被害者の人見哲生さんが「エク哲」と呼ばれ、なんJを中心に10年以上語り継がれる存在になりました。犯人・カルロス・カンポサノには禁錮35年が言い渡され、妻の真梨子さんは車いすで帰国後、現在の消息は不明のままです。
エク哲がなぜ忘れられないのか。それはおそらく、人間の「ちょっとした油断」「ちょっとした見栄」「ちょっとした強がり」が積み重なった結果を、これほど鮮明に見せてくれる話が他にないからだと思います。
笑えて、怖くて、どこか他人事じゃない。そのすべてが詰まっているから、エク哲の話はいつまでも消えないのかもしれません。
